2022年から青学男子ラクロス部のコーチをしております、安西渉です。今は、主にBチームを指導しています。
簡単に自己紹介をさせて下さい。
2002年に東大を卒業してから、2013年までチャンピオンリーグの3つのチームでプレーしていました。コーチとしては、これまで東大で計5年、千葉大で5年やっていて、青学は3チーム目となります。
ウルフとは15年以上前に一緒のチームで2年ほどプレイした仲です。勝と一真とは、2人が4年生で新チームを立ち上げるときに飯を食いつつ話してから、実に4年以上ぶりの再会です。
モナが早稲田に何らかの形でいる時は、4戦全敗で東大がFINALで負けており、忸怩たる思いです。
まず最初に、裕士を始め幹部のみんな。
こんな縁も所縁もない20歳も離れた他大学出身の人間をチームに迎え入れる決断をしてくれて、感謝しています。ありがとう。
この「感謝」の意味は結構深くて、ここでは書ききれないので、また今度話させてください。
さて。
今のチームにどんな言葉を投げかけようかと考えたとき、今年本気でチームを変えようと戦った人たちと、あの日「絶対に青学ラクロス部を強くしてやる」と決意したであろう3年生以下の人たちに、優しいねぎらいの言葉や労りの言葉はふさわしくないなと思いました。
だから、このタイミングで少しは空気読めよと思われてしまうかも知れないけれど、未来に向けたメッセージとアドバイスをいくつか送りたいと思います。
最初に言ってしまうと、「答え」はすでに試合後に主将が語ってくれたと思っています。
「やったと思っていたけど、全然甘かった」。
今年1年間、明らかにチームの誰よりも「やった」人間から発せられたこの言葉を、みんなはどう受け止めたでしょうか。
この「答え」がちゃんと消化されて、未来の青学男子ラクロス部と、4年生のこれからの人生の糧になるきっかけになれば嬉しいです。
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【結局「どのくらい勝ちたいのか」が大事】
僕がこのチームに入って一番最初に感じたのは、「強くなるため・勝つために努力することが、何よりも優先される集団ではなさそうだ」ということです。
「強いこと、勝つこと」ではなく、あくまで「そのために努力すること」の優先度が高くない、という意味で。
そして、「強くなるため、勝つために努力することを何よりも優先する人」が、そうじゃない人たちにそう求めることを躊躇しているなとも思いました。また、そう求められることを明らかに嫌がり、拒絶している人もいそうです。
このことが、チームの成長や変化の障害になっていると思います。本当に変わりたいなら、まず最初にここに向き合い、乗り越えるのが良いと思います。これは結構不幸な状況です。
僕は、全ての人間には幸せになる権利があるし、幸せになって欲しいと考えています。そして、その幸せにはいろんなカタチがあるから、自分に合った幸せを追求して欲しいなと思います。
「真っ向勝負の世界」で勝ちたいと願うなら、その幸せのカタチはかなり特殊です。
大学ラクロスで勝とうとすると、「普通の大学生」が想像するようないわゆる”楽しい大学生活”は送れません。自分がうまくなるため、チームが強くなるためにできることは無限にあって、勝たなければならない相手チームが、それをやってくるからです。相手がいる競技で勝つってそういうことです。
旅行よりも、飲み会よりも、おしゃれよりも、友達と遊ぶよりも、「自分がうまくなるため、チームが強くなるためにやる努力」に幸せを感じられない人が、「勝ち」を目指している集団に所属してしまうと、実は全員が少しずつ不幸になります。
勝ちたい人は、そういう人の影響で自分とチームのエネルギーが削がれ、結果チームが強くなりきれずに不幸になります。
勝ちたくない人は、本当はそれほどやりたくないことを人から求められ続けて不幸です。そして、「本当に勝ちたい」と願い行動している人の足を引っ張り、夢をつぶしてしまうことが、二つ目の不幸です。
勝つことも楽しむことも、両方大事にするのは素敵。でも、本当に勝ちたいと願うなら、その「楽しむ」には、「勝つためにする努力を」楽しむという条件が付いてきます。
『勝ちたいなら、いろんなものを犠牲にして努力すべきだ!』ということを伝えたいのではなく、むしろ逆です。「勝つための努力を楽しいと思える人」が、「勝ちたい人」なんです。
勝つための努力を犠牲だと捉えていて「できれば楽して勝ちたい」と思っている人の「勝ちたい」は、「40歳くらいでリタイヤしてハワイで暮らしたい☆」っていうくらいの、ちょっとした願望です。
最初に戻ります。
だから、【結局「どのくらい勝ちたいのか」が大事】なんだと思っています。
ここに徹底的に向き合って、みんなが自分の幸せを実現して欲しいと思います。
その結果もしチームを離れることになる人がいても、それは別にその人がダメなわけでもチームから弾かれたわけでもなく、ただただ「求める幸せのカタチが違ったよね」というだけであって、友達としての縁は切れません。むしろ、ラクロス部で得られる幸せのカタチは少し特殊ですよ。
最後に、蛇足を。
JLAで働いていると「最近は就活で有利だからラクロス部に入る学生が増えているらしい」みたいな話を耳にします。この「ラクロス部は就活で有利」というのは、明らかに間違っていて、万が一だまされてしまうとめっちゃ不幸になるので、ちょっと説明しておきます。
結論から言うと、残念ながらラクロス部に所属していたからと言って、就活で有利にはなりません。これは、10年間くらい会社を経営して、いろいろな人との会話の中で実感しています。あくまで、「何かに本気で打ち込み、壁にぶつかりながら成長する経験をした人」が就活で評価され、そういう人がラクロス部出身に多い、というだけです。
書類選考や序盤の面接であれば、効率を重視して「とりあえず体育会を通す」ということはあるかも知れません。でも、何百人、何千人とみてきた人には確実に「本当にやった人」なのか「いただけの人」なのかは一瞬で見抜かれてしまいます。何なら「本当はやってないのに、やった感出す」ことがネガティブに働いてしまいます。
なので、もしラクロス部に「就活で有利になるという幸せ」を期待しているなら、その期待は裏切られる確率高いので、今のうちに軌道修正しておくことをお勧めします。
【「1日一つ、石を置く」という考え方】
そうやって心を決めても、「やり切る」のはすごく難しいです。そのことは、裕士が試合後に言った言葉に表れています。
次は、「やり切る」ためのガイドになる考え方を紹介したいと思います。
僕とモナがお世話になったスポーツメンタルのコーチで、辻秀一先生って方がいます。著書の「スラムダンク勝利学」を読んだことがある人もいるかもしれません。
その人が教えてくれたことに、「1日一個石を置く」というものがありました。
これから、来年の入れ替え戦まで約400日。
毎日、あなたは一つ石を置くことができます。
大きな石でも、小さな石でも、あなたが上手くなったり、ラクロスをするのに必要な環境を手に入れたり、チームが強くなったりするために必要な石を、一つだけ。
その400日に置いた石の積み重ねが、あなたが達成したものです。
こんな意味の考え方です。
ここで大事なのは、石を置かなかった日や、小さな石を置いてしまった日は、「決して戻らない」ということです。
人間はアホなので、簡単に「後で頑張ればいいや」「明日取り返そう」って考えてしまいます。でも、本当はそれは絶対に取り返せません。
取り返そうと思って「次の日に余計に頑張って置いたちょっと大きめの石」は、前の日に石を置いていてもいなくても、置けた石です。
石を置かなかった日、小さな石を置いてしまった日は、決してやり直せない。だから、1日1日サボらずに、可能な限り大きい石を置く。
これが、ラクロスみたいな勝負の世界の、超基本的な攻略法です。
石を置かずに寝てしまった日や、小さな石しか置かなかった日は、その分、確実にあなたを目標から遠ざけます。
そのことを意識することが、毎日「やり切る」ためのガイドになるかも知れません。
すでに、2日が経ちました。あなたは、できる限り大きい石を置きましたか?
【それでも、ラクロスは楽しい】
ここまで色々厳しいことを書いてきました。
それでも最後に伝えたいのは、「ラクロス楽しいよ」ということです。
スポーツとしてだけじゃなくてね。
ただひたすら勝利を目指して、もがきながら、試行錯誤しながら、正解かはわからないけど進む。その純粋な努力をぶつけ合える場所がある。
法政戦のベンチで、モナが3Q始まるときに「こんなに楽しい30分は、人生でなかなか無いぞ!」って言ってたけど、まさにそういうことだと思っています。
こればっかりは、言葉では伝わらないから、信じてやり切ってみて欲しい。
僕は今まで200-300人は大学ラクロッサーを見てきたけど、勝ち負けに関わらず、「やり切った」ことを後悔している人は一人もいません。
後悔している人や、過去に触れたくない人は、必ず「やり切れなかった人」です。
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2022シーズンはまだ続きます。
あなたは、何のために、どんな石を置きますか?
<最後に>
僕が「強いチームになるために必要だと思っていること」をまとめたnoteがありますので、ここまで読んで興味持ったぞって人はぜひ読んでみてください。
2017/10/6 with Katsu, Kazuma and Wolf.